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日本の古い歴史を物語るものの一つに城があります。日本の歴史の一ページに何らかの形で関わってきた数多くの城ですが、歴史上の廃城令や戦争、天災などを免れて現存しているのは12城しかありません。そのうち国宝に指定されているのは5城であり、その中でも日本最古の五重六階の天守を持つ、唯一の平城である松本城の魅力に迫ります。
堀の水に映る松本城
松本城の前身は永正元年の1504年に造られた深志城であると言われています。松本城と呼ばれるようになったのは、徳川家康が信濃国を支配下に置いた時であり、更に天守を最初に建てたのは、天正18年の1590年頃、豊臣秀吉の命令により松本城に入ってきた石川数正だとされています。天守の壁には、鉄砲を撃つための鉄砲狭間や矢を射るための矢狭間、石落しなどの穴が開けられていることから、実戦を想定した上で建てられたことが分かります。その後、天守は寛永10年の1633年に徳川家康の孫・松平直政によって遊興用の辰巳附櫓と月見櫓が建設され、今見るような複雑な天守群の姿になりました。
五棟からなる連結複合式の天守
松本城のように、戦国時代末期から平和な江戸時代初期にかけて増築されてきた連結複合式の天守は唯一無二で、極めて高い歴史的価値を持っていると言っても過言ではありません。しかし、明治維新後、旧体制の象徴である城の解体が各地で行われ、松本城も破壊の危機に晒されました。信飛新聞社社長の市川量造の懸命な努力のおかげで、松本城が買い戻され、難を逃れることができました。更に、明治36年の1903年に、松本中学校校長の小林有也らが募った寄付によって11年間にわたる大修理が実現できました。
遠くに見える北アルプス
松本城は下見板の黒と漆喰の白が絶妙なモノトーンのコントラストをなし、遠くに見える北アルプスにも映える美しさを醸し出しています。天守の壁面が黒漆で塗られているのは日本では松本城のみで、天然の樹脂塗料が光沢のある漆黒の艶めきを出しています。この黒漆は毎年、気象条件が最適になる秋口に塗り替えられ、こまめな保全作業が行われているということです。大天守の外観は五重ですが、内部は三階に屋根裏部屋のように外から見えない階があり、六階の構造になっています。最上階につなぐ階段は勾配が急で、登り降りする際に気をつける必要があります。
雪化粧の松本城
大天守の中には展示ケースが随所設置されており、修理の際に取り替えられた材木や発掘調査で出土した遺物など貴重な歴史的資料を見ることができます。二階には火縄銃を主とした鉄砲蔵の展示があり、松本市出身の故赤羽通重・か代子夫妻が寄贈した火縄銃と兵装品の一部が展示されています。大天守の横には三重四階の乾小天守があり、渡櫓によって繋がっていますが、耐震上の理由から通常非公開となっています。月見櫓は、朱色の漆が塗られた刎ね勾欄が三方向に施され、江戸時代にここから月が眺められたことを思うと、ロマンを感じざるをえません。
夜きれいにライトアップされる松本城と埋の橋
近年、「国宝松本城を世界遺産に」推進実行委員会が主体となり、松本城の世界遺産登録を目指していろいろな取り組みがなされてきました。正式に登録されれば、観光客が殺到する懸念がありますが、四百年余りの歴史を持つ松本城が日本の誇りだけではなく、世界の宝としても認められることを契機に、更なる文化財保護意識の醸成や向上につながればと心から期待を寄せています。